日米間の原爆への認識のずれ:完全な私見

原爆60年:米テネシー州で記念行事 日本人との間に溝(毎日新聞)メロスは走った。メロスは偉い。そーかな・・・と思った、幼い頃の記憶。メロスの子供だったら・・・メロスの奥さんだったら・・・偉くなんかないでしょ。逃げようよ!父ちゃん・・・でしょ。やっぱ。真実なんてものは、ひとりひとり違うのさ。にもかかわらず、自分の真実を人に押し売りすることになんの意味があるのか。キリスト教原理主義団体の肝いりで当選したどっかの国の大統領が、イスラム教原理主義の国を攻撃しました。世界中一人残らず、自分の意見にうなずかせたいのでしょうか?「そーですね!」のかけ声は、アルタの観衆にまかせておけばいいのに・・・八百万の神々がいる国の私には理解できません。「原爆は悪しき兵器である」という意識は私にもある。しかしそれより「戦争自体が二度と繰り返してはならないことなのだ」という意識の方がむしろ、多くの日本人にとって、しっくりと来るのではないだろうか?何よりも、原爆の話をするときに、「米国のせいで・・・」などと言う声は、聞いたことがない。私自身、広島出身でもなければ、原爆や戦争に特に興味があるわけでもないので、聞いたことがないだけなのかもしれないけれど、事実として私は、聞いたことがない。「戦争が悪い」「悲しい結果が必然的に降ってくる戦争を繰り返してはいけない」そういう声は何度も聞いたし、そういう教育を受けてきている。翻って、米国はどうか?たしかに、「戦争を終わらせるためには、必要不可欠なことだった」という意見を最初に聞いたときには、「そらないやろぉ・・・」と思ったが、(不謹慎かも知れないが)全くのよそ事として考えたときに、「そういう考え方もあるにはあるんやろな・・・」という程度には受け止めることもできた。「その時点では、他の選択肢がなかったんだ」までは百歩譲って、理解しよう。しかし、「したがって、原爆投下は、唯一無二の正義である!」と声を荒げて正当性を主張するには、あまりにお鉢が薄っぺらい。なぜなら、問題は、『その時点』へ至る『戦争』そのものなのだ。戦争の当事者たる国々は、戦勝国・敗戦国を問わず、そこをこそ反省すべきである。原爆を作った国の人たちが、「原爆は戦争終結の立役者なのだ。だから、『悪魔の兵器』扱いするな」というなら、原爆によって傷ついた国の人たちは、「いや、悪魔の兵器だ。悪魔の兵器を作った奴らは、悪魔だ」などと言ってはいない。「戦争終結にどうしても原爆が必要になるような『戦争』なんてものは二度と繰り返してはいけない」と応えるだけの話だ。走ったメロスが、必ずしも偉いわけではないとしても「生きろ!セリヌンティウスの分まで!」などと言えるほど、私は厚顔無恥ではない。

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