万能感が鼻についてしまう・・・
親しい人から、自分の思いをつづったページでこんなのがあったよ。ちょっと、共感したよ。というメールをもらった。ふたつ紹介してもらったのだけれど、ひとつめは、「うんうん。」と思った。(---以下引用---)まっすぐ家に帰りたくない時。疲れ果てる「一歩手前」くらいの時。ワンクッション置いてから、寝食の場に戻りたいと思う時。誰とも口をききたくないわけではなくて、むしろ一人きりにはなりたくなくて。あったかいもので満たされたいような、柔らかな光に包まれたいような時。会社帰り、いつもの飲み屋につい立ち寄ってしまうおとうさんとか。下校コースをちょっとだけ遠回りしてしまう小学生とか。ひとまず渋谷に出かけてしまう女子高生とか。同じ心境なのかしら。わたしは、そんな時はバスに乗ります。好きです。バス。バスは、余裕あるから。黄色信号を無理に渡らない。後ろにバス渋滞が出来ても悠然と走る。おばあちゃんが席に着くまで、みんな当たり前に待つ。少しくらい遅れていても、待っていれば必ず来る。耳慣れないバス停が続いても、乗っていれば何かしら大きな駅に着く。スリルと癒しの競演。時間どおりに来て時間どおりに目的地に着くこともすばらしいけれど、どこか「運ばれてる」感が否めない。こんなわたしも現代人のはしくれとして、普段は最短距離を全速力で駆け抜けるような生活を送っているのね。だからこそバスのテンポが気持ちいいのかな。そして、バスは窓が大きい。外の景色がよく見える。普段は一瞬で通りすぎる「通過点」が人の息づく「街」に見えたりする。こんなところにお寺があるんだ、とか。あのケーキ屋さんは美味しいにちがいない、とか。たくさんの人が乗り降りすると思ったら、病院の前の停留所だったり。夕日と逆の空が明るいと思ったら、球場のカクテル光線だったり。いろんな発見が、楽しい。都市が市井のタペストリーであることに気づかされる。路地の奥で赤ちゃんをだっこしているお母さん。高速道路の笠の下、古びた民家の植木鉢。自販機にタバコをいれるおばあちゃん。シャッターを閉める店先、遥かビル越しに見える東京タワー。ふわっと灯りのともる家々。そんな、当たり前の光景に、なぜだかふっと泣きそうになる。タペストリーの1ピースになる心地よさ。個であり、総である自分を確認できて、安心する。そんな小一時間のバスの旅。何を思うでもなく、ぼーっと車窓を眺めていると、なんとなく、わたしも家に帰っておいしいゴハンを食べよう、という気持ちになるのが不思議。以上、「道草のススメ」でした。(---以上引用終わり---)好感を持って、一応、元ページをググってみた。http://music.nifty.com/onoroff/achisgarden_b01.htmonofoffといういわゆるミュージシャンの独り言的サイトみたい。なんだかねぇ・・・その人が書いた文の言葉だけを、plainなメールで見て、「あるよねぇ〜」なんて思ったんだけど、元ページを見て、がっかりしちゃった。でもね、上記文章を読んで、なにやら、切なくなる心ってのはみんな持ってる気がするし、そこが、人間を嫌いになれない部分の元みたいにも感じる。すごく親しくならないと言えない種類の内容でしょ?「だからどーしたんだよ?よーけんは?」なんて言われるシチュエーションでは、しない話っつーか。でも、その文章を書いた人の他の文章が嫌いだったりするのも有りなんだろうな。
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